秋田へ引っ越ししました。秋田市仁別にてスタジオ“nesta”整備中。 陶芸家田村一の日常、夢想、備忘録などなど.文章を書くのが苦手な作者のための練習帳.


by tebokehandmade

「人体の世界」展

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mixiで見かけたニュースについて覚え書き。



京都で開催されたプラスティネーション標本について大学教授が気分を害されたと提訴。
じゃ見なきゃいいじゃんて思ったんだけど、どうも事情は違うらしい。


自分が10年以上前、上野の科博で見たのはドイツの学者の手によるもの。プラスティネーション標本はもとより、漱石の脳や普通に臓器の液浸標本なんかもあって、理科室の延長みたいで学術的な展示だった。プラスティネーション標本の作り方や色んな動物をプラスティネーションにしたものとかには触れたりとか。改修前の古い科博の小部屋をぐるぐる廻ったり、会場と企画がうまくかみあった面白い展示だった。

もちろんプラスティネーション標本はあまりに、生々しくて、キツい人にはキツいだろうと思ったし、途中吐瀉物を片付けてる職員の方もいらした。

驚いたのはその人出。会場がものすごいごった返してる。みんなそんな理科好きか?って。でやっぱりそこにはある種の見世物小屋感があったんだと思った。まぁそんなもんだと。でもちょっとした違和感があったのは確か。

今この展示の図録で確認したら開催は1995年のこと。




その後、数年前からずいぶんとまぁ人体の不思議展やってるなぁと。
実際には見に行ってないからわからないけど、展示されてる標本が随分とおかしなことになってるらしい。どうもこの技術が中国に渡って、スキャンダラスでただのグロなだけの標本が乱造されてるようだ。

死刑囚のものという真偽はともかく、

要はこれらの展示は、単なる見世物小屋になってしまったのか?


ヒトって本能的に怖くてグロいもの結構好きでそれをちょこっとだけ覗いてみたいと思ってる。見世物小屋なんかはそこをうまいことついてる。
見世物小屋での出し物は「覗く」から成立するんであって、あくまでそこは日常生活とは一線をひいてある。
「覗く」行為にはある種の後ろめたさだったり畏怖の念が込められてる。おおっぴらに見たらメデューサの眼に当てられたみたく固まってしまう。だからこっそり盗み見しないと。
19世紀末にできた博物館にはCabinetOfCuriosityという奇形だったりでっちあげだけの生物標本を集めた部屋があった。
そこにはまだ見たことないものに対する好奇心と畏怖に対するヒト自らの行為があったように思う。
15年前の上野の展示からも同じベクトルを感じた。



ところが昨今やってるこのての展示はどうなんだろう?
隠されたもの・隠されるべきものを詳らかに開陳するのに躊躇しないのは、傲慢で愚かな行為。
だとしたら単なる珍奇趣味に陥る。愚の骨頂。

この展示にはそこの判断かできてないんだろう。道徳観がないと言いかえてもいい。この場合。





上野のときに感じたちょっとした違和感。そこだけが突出してフォーカスした展示。だとしたら相当酷い。この教授の言い分も一利ある。




もちろん死体にだって尊厳はある。日本人くらいお墓参りする民族はいるんだろうか?
もし家族や友人が死後、そんな珍妙な標本されたら、ほんとに嫌だ。



主催者はこの辺りどう捉えてるんだろう?











hajimeeeee
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by tebokehandmade | 2011-01-22 22:59